2007年 09月 27日
南伊豆デジタルミュージアム計画 |
9/25にギャラリーみいづで第二回南史会日詰(ヒヅメ)遺跡部会があった。
南伊豆町下賀茂の日詰遺跡とは、
1975年からの青野川河川改修工事で見つかった、
弥生時代の後期から平安時代にかけての長期にわたる複合遺跡。
日詰遺跡で検索しても上位に出るのは私のブログと古本屋さんの情報ばかり。
この時期の遺跡としては静岡市の登呂遺跡が全国的にも有名。
私も小学校の修学旅行で行きました。
その登呂遺跡より、はるかに大きく(200m X200m ,4ha)また長期にわたって、
この南伊豆町下賀茂に村落があった。
祭祀跡、製鉄跡、住居跡、方形周溝墓とよばれる墓の跡・・・。
当時、予想される遺跡面積の1/10(40m X80m)の発掘で
弥生時代の住居跡が20軒発見された。
土地が河川の蛇行と氾濫の激しい地域で、
どれだけ同時に存在したかは特定できないらしいが、
その規模と期間はこの伊豆半島の先という地を考えると十分な意味を持つ。
9/22のブログでも書いたように、
現在も河口から4kほど迄潮汐がみられるほど
この伊豆半島では下流域の勾配の小さい2級河川青野川沿い、
当然海水準変動による汀線の変動の影響も受けやすい地域、
河川改修工事で発見された遺跡のため、
発掘跡は現在は河原や土手となっているため
その様子は出土した土器、石器そして写真と報告書でしか確認できない。
(一般教養書の類としてはほとんど無いと言ってもよいぐらい)
わずかに河土手の公衆トイレ建物の意匠に弥生時代の面影がある。
このような状態だからこそ、
歴史遺跡を安易に観光資源として紹介するのではなく
岡山市デジタルミュージアムのような形が有効なのではないかと思う。
HD上のバーチャルインタラクティブ美術館。
ホログラフィーによるバーチャル日詰遺跡
発掘時にはややかな埋め戻しが決まっていた為、
撮影された膨大な写真のデジタルデータ化と
それを元にした発掘時のホログラフ、
また弥生、古墳、奈良、平安、
各時代の人々の暮らしぶりのイメージホログラフ、
同時に、近くにNTT局舎が在ることを生かした無線LANの無料ホットスポット。
学術上は研究、報告など総て終わっている遺跡を
奇岩や砂浜と同じ様に単に観光資源として見るのではなく、
未来の情報として活用する為の下準備が急務だ。
30年という時間はフィルムの退色には十分な時間だ!。
南伊豆町下賀茂の日詰遺跡とは、
1975年からの青野川河川改修工事で見つかった、
弥生時代の後期から平安時代にかけての長期にわたる複合遺跡。
日詰遺跡で検索しても上位に出るのは私のブログと古本屋さんの情報ばかり。
この時期の遺跡としては静岡市の登呂遺跡が全国的にも有名。
私も小学校の修学旅行で行きました。
その登呂遺跡より、はるかに大きく(200m X200m ,4ha)また長期にわたって、
この南伊豆町下賀茂に村落があった。
祭祀跡、製鉄跡、住居跡、方形周溝墓とよばれる墓の跡・・・。
当時、予想される遺跡面積の1/10(40m X80m)の発掘で
弥生時代の住居跡が20軒発見された。
土地が河川の蛇行と氾濫の激しい地域で、
どれだけ同時に存在したかは特定できないらしいが、
その規模と期間はこの伊豆半島の先という地を考えると十分な意味を持つ。
9/22のブログでも書いたように、
現在も河口から4kほど迄潮汐がみられるほど
この伊豆半島では下流域の勾配の小さい2級河川青野川沿い、
当然海水準変動による汀線の変動の影響も受けやすい地域、
河川改修工事で発見された遺跡のため、
発掘跡は現在は河原や土手となっているため
その様子は出土した土器、石器そして写真と報告書でしか確認できない。
(一般教養書の類としてはほとんど無いと言ってもよいぐらい)
わずかに河土手の公衆トイレ建物の意匠に弥生時代の面影がある。
このような状態だからこそ、
歴史遺跡を安易に観光資源として紹介するのではなく
岡山市デジタルミュージアムのような形が有効なのではないかと思う。
HD上のバーチャルインタラクティブ美術館。
ホログラフィーによるバーチャル日詰遺跡
発掘時にはややかな埋め戻しが決まっていた為、
撮影された膨大な写真のデジタルデータ化と
それを元にした発掘時のホログラフ、
また弥生、古墳、奈良、平安、
各時代の人々の暮らしぶりのイメージホログラフ、
同時に、近くにNTT局舎が在ることを生かした無線LANの無料ホットスポット。
学術上は研究、報告など総て終わっている遺跡を
奇岩や砂浜と同じ様に単に観光資源として見るのではなく、
未来の情報として活用する為の下準備が急務だ。
30年という時間はフィルムの退色には十分な時間だ!。
by interloid
| 2007-09-27 14:36
| 伊豆