2009年 02月 05日
南伊豆石廊崎風力発電問題シンポジウム vol.1 |
行って来ました。
44名うち所謂ジモッチは私を含め5名ほど、
まあ、墓と実家があって長男という意味で・・・。
2月4日3時という設定が、ジモッチはほとんど動けない時間帯というわけで、それがどうゆう意味を醸し出すのか・・・。
2/5から始まるみなみの桜と菜の花まつりの前日、つまり町をあげての年に一度のイベント開幕の前日でジモッチはとても時間が取れる状態ではない。シンポジウム主催者側があえてこの日時を狙ったのはどんな意味合いがあるのか?。少なくとも地権者を含むジモッチ側は自分らの都合も考えずに決められたシンポジウムに参加出来る(しようと思う)はずもなく。ああ・・・またよそ者が何かやっている、というぐらいにしか思わないだろう、いや、穿って考えれば、地元に敵対する(協力しない、地元を食い物にする)よそ者の集まりだ!とでも思われても致し方ないだろう。
問題は何でも「・・・運動」などとしたがる一部の性急な正義感にあるのではないか?。その根拠は、風車予定地のもっとも近く200数十メートルに住んでいる家族がシンポジウムに参加していない事によってある意味ハッキリと表されている。
情報交換以外で「・・・反対運動」と集団化することをその家族は一番嫌っていた。正義感、主義主張などの「理念」が最終的な問題解決の根拠とは決してならず、また反対運動として集団化する事が、企業の思いどうりな事をその家族は知っているのだ。それは今回のシンポジウムで、最も多く発言していた団塊の世代の一つの方法論の限界とも言い換えられるだろう。シンポジウムには伊豆の他の地域の人達も10名ちかく来ていた。すでに建って被害の出ている地域、南伊豆の次に建設予定の地域など・・・。そこで風車公害の恐怖をあおる事がどのような意味を持つのか?もし建ってしまったら、煽った恐怖は何処へ行くのか?。そんな問題も浮かび上がる。私としては最初に書いた様に、ジモッチを無視していると思われても仕方の無い日時設定に、もっと早く気付いて主催者側に一言サジェッションすべきではなかったかと悔やんだ一日だった。
それと、私もこのblogで再三書いてきた意見「風車用地軍事施設流用論」をかいつまんで主張したのだが、喋っている最中幾度と無く涙が込み上げてきて自分でも不思議だった、自分で喋っているのにだ!・・・。これは何だったのだろうか?こんなことは初めてだった。
たぶん、悲しかった、これしかないだろう。
日本語の通じなさが寂しかったのだと思う。
44名うち所謂ジモッチは私を含め5名ほど、
まあ、墓と実家があって長男という意味で・・・。
2月4日3時という設定が、ジモッチはほとんど動けない時間帯というわけで、それがどうゆう意味を醸し出すのか・・・。
2/5から始まるみなみの桜と菜の花まつりの前日、つまり町をあげての年に一度のイベント開幕の前日でジモッチはとても時間が取れる状態ではない。シンポジウム主催者側があえてこの日時を狙ったのはどんな意味合いがあるのか?。少なくとも地権者を含むジモッチ側は自分らの都合も考えずに決められたシンポジウムに参加出来る(しようと思う)はずもなく。ああ・・・またよそ者が何かやっている、というぐらいにしか思わないだろう、いや、穿って考えれば、地元に敵対する(協力しない、地元を食い物にする)よそ者の集まりだ!とでも思われても致し方ないだろう。
問題は何でも「・・・運動」などとしたがる一部の性急な正義感にあるのではないか?。その根拠は、風車予定地のもっとも近く200数十メートルに住んでいる家族がシンポジウムに参加していない事によってある意味ハッキリと表されている。
情報交換以外で「・・・反対運動」と集団化することをその家族は一番嫌っていた。正義感、主義主張などの「理念」が最終的な問題解決の根拠とは決してならず、また反対運動として集団化する事が、企業の思いどうりな事をその家族は知っているのだ。それは今回のシンポジウムで、最も多く発言していた団塊の世代の一つの方法論の限界とも言い換えられるだろう。シンポジウムには伊豆の他の地域の人達も10名ちかく来ていた。すでに建って被害の出ている地域、南伊豆の次に建設予定の地域など・・・。そこで風車公害の恐怖をあおる事がどのような意味を持つのか?もし建ってしまったら、煽った恐怖は何処へ行くのか?。そんな問題も浮かび上がる。私としては最初に書いた様に、ジモッチを無視していると思われても仕方の無い日時設定に、もっと早く気付いて主催者側に一言サジェッションすべきではなかったかと悔やんだ一日だった。
それと、私もこのblogで再三書いてきた意見「風車用地軍事施設流用論」をかいつまんで主張したのだが、喋っている最中幾度と無く涙が込み上げてきて自分でも不思議だった、自分で喋っているのにだ!・・・。これは何だったのだろうか?こんなことは初めてだった。
たぶん、悲しかった、これしかないだろう。
日本語の通じなさが寂しかったのだと思う。
by interloid
| 2009-02-05 15:14
| 伊豆