2010年 09月 21日
時系列順「日本近代史を伊豆の建造物で巡る旅」 |
先日のblogは熱海から伊豆に入って、東海岸を南下し石廊崎を回って西海岸に入り、松崎から婆娑羅峠を越え稲梓、山越えで河津筏場、天城峠旧道を通り韮山。というルートを想定して11カ所を並べました。
それを時系列で並べてみると、以下のようになります。建造物が特に関係していると言う訳ではありませんが黒船関係の場所として「玉泉寺」加えました。
「江川家住宅」 1615〜1660年(江戸前期) 伊豆の国市韮山
「依田家住宅」 1688〜1704年(元禄年間) 松崎町大沢
「玉泉寺」 1856(安政3)年 (日本最初の米国総領事館)下田市柿崎
「韮山反射炉」 1857(安政4)年 伊豆の国市鳴滝入
「神子元島灯台」1871(明治3)年 下田市神子元島
「旧岩科学校」 1880(明治13)年 松崎町岩科北側
「南葵文庫」 1901(明治34) 熱海市伊豆山
「天城山隧道」 1904(明治37)年 河津町梨本・伊豆市湯ヶ島桐山
「起雲閣」 1919(大正8)年 熱海市昭和町
「木村屋敷」 1933(昭和8)年 河津町峰
「川奈ホテル」 1936(昭和11)年 伊東市川奈
「鍋島家別邸」 昭和20年代 下田市吉佐美
他に近代史に関連の場所として、
「徳富蘇峰記念館」。神奈川県中郡二宮町
明治・大正・昭和期の評論家、言論界重鎮であり徳富蘆花は実弟。「近世日本国民史」全100巻1952(昭和27)などで知られる。晩年を過ごした熱海伊豆山の晩晴草堂は現在は山中湖に移築され同志社大学が管理している。また「山中湖文学の森」には「徳富蘇峰館」もある。
「旧南豆製氷所」下田市
登録有形文化財。1923(大正12)年に立てられた伊豆石の石造建築。昭和の下田の遠洋漁業を支えた。現在公開停止中。
「黄金崎クリスタルパーク」と「伊豆けい石」西伊豆町宇久須。戦後の最盛期には全国の約9割のガラス板の原料が宇久須の地から採掘。
まだまだあります、つづく。
それを時系列で並べてみると、以下のようになります。建造物が特に関係していると言う訳ではありませんが黒船関係の場所として「玉泉寺」加えました。
「江川家住宅」 1615〜1660年(江戸前期) 伊豆の国市韮山
「依田家住宅」 1688〜1704年(元禄年間) 松崎町大沢
「玉泉寺」 1856(安政3)年 (日本最初の米国総領事館)下田市柿崎
「韮山反射炉」 1857(安政4)年 伊豆の国市鳴滝入
「神子元島灯台」1871(明治3)年 下田市神子元島
「旧岩科学校」 1880(明治13)年 松崎町岩科北側
「南葵文庫」 1901(明治34) 熱海市伊豆山
「天城山隧道」 1904(明治37)年 河津町梨本・伊豆市湯ヶ島桐山
「起雲閣」 1919(大正8)年 熱海市昭和町
「木村屋敷」 1933(昭和8)年 河津町峰
「川奈ホテル」 1936(昭和11)年 伊東市川奈
「鍋島家別邸」 昭和20年代 下田市吉佐美
他に近代史に関連の場所として、
「徳富蘇峰記念館」。神奈川県中郡二宮町
明治・大正・昭和期の評論家、言論界重鎮であり徳富蘆花は実弟。「近世日本国民史」全100巻1952(昭和27)などで知られる。晩年を過ごした熱海伊豆山の晩晴草堂は現在は山中湖に移築され同志社大学が管理している。また「山中湖文学の森」には「徳富蘇峰館」もある。
「旧南豆製氷所」下田市
登録有形文化財。1923(大正12)年に立てられた伊豆石の石造建築。昭和の下田の遠洋漁業を支えた。現在公開停止中。
「黄金崎クリスタルパーク」と「伊豆けい石」西伊豆町宇久須。戦後の最盛期には全国の約9割のガラス板の原料が宇久須の地から採掘。
まだまだあります、つづく。
by interloid
| 2010-09-21 11:43
| 伊豆