2007年 07月 19日
それ自身で無い物を表す為に、その物自身の存在は有る |
よく言われるように、
音楽以外の何物かを伝えたい為に音楽はある。
写真に写らない物を撮す為に写真はある。
音楽において、伝統的なエンジニアの姿勢とは、
その場がステージ上であれ、レコーディングスタジオであれ、
その場で鳴っている楽器の音を増幅、記録することだ。
これには常々疑問を持っていた。
私のCDのライナーにも書いたように、ミュージシャンとエンジニアとディレクター、プロデューサーの立場は時代とともに変わってきた。
ロイ・ハリー、ジョージ・マーティン、フィル・スペクターの時代からヒュー・パジャム(XTCなど)、ボブ・クリアマウンテン(ロビー・ロバートソンなど)、エイドリアン・シャーウッド(デペッシュ・モードなど)そしてハウスへ・・・。この流れの意味する事とは何なのか?
フォトグラファーは、音楽におけるミュージシャンとエンジニアの要素を同時に満たしていなければならない。しかし振動そのものを扱う音楽と比べ、そのグラフィック及び記録という特性上、(音楽におけるレコーディング・エンジニアと同質の)時間感覚のコントロールを肉体感覚に変換するのに、ある程度の個人的時間が必要となる。
イマジネーションとエンジニアリングの分業化がポップスの歴史を作ってきた。
しかし、DJやプロデューサーが市民権を得てきたことで、音楽にはある意味フォトグラファー的アプローチをとれるミュージシャン、アーティストが(安易にプリミティブに走るのではなく・・・)求められてきていると思う。
(以下Dog Star Rising ライナー(改訂2006.1)より)
1. The Dog Star Rising 【ドッグ スター ライジング】12:12
< Shigetoshi PHUZYWARA >
Recorded in Okayama at studio INTERLOID July 2000 Self Engineering
この曲のモチーフは、20数年前にできた。その頃聴いた、数枚のLPがきっかけだった。それは・・・、
コンテンポラリーかつアバンギャルドという意味において、本質的な意味でフォ-クと言え、また当時のイギリスのギターミュジックシーンを伝えた、オムニバス2枚組”ギターワークショップ”。
理知的なシタールに対して官能的なヴィーナの音色を教えてくれた、キング民族音楽シリーズ、”南インドの音楽/ナゲシュワラ・ラオのヴィーナ”。
フリー・インプロヴィゼーション・ミュージックに超絶的技巧や難解な論理は、決して必要条件ではないことを見せてくれた、デレク・ベイリーの"DEREK BAILEY SOLO"。
当時LPを創る(アルバムをプロデュースする)という意味において、ジョージ・マーティン(言わずと知れた5人めのビートルズ)、ロイ・ハリー(3人めのサイモン&ガーファンクル)、フィル・スペクター(バック・トゥー・モノ!)以上のものを感じさせてくれた、故ジョン・フェイの”ブラインド・ ジョー・デス vol.6 デイズ・ハブ・ゴーン・バイ”、 …これらのLPだった。
その後、90年代初頭デトロイト・テクノの雄ジェフ・ミルズの"cycle30"やアンビエント・テクノの名盤として名高い、Polygon Window (Surfing On Sine Waves) 、いまだ、正当な評価がなされているとは思えない、アーティフィシャル・インテリジェンス・テクノの最重要盤、EAT STATIC "implant" など、またフリーミュージックの最先端、カン・ティ・ファン、大友良英・・・の演奏、そして新世代のパフォーマー、jinmo、今沢カゲロウ・・・らに出会い、現在のような形になった。
このアルバムで唯一のオリジナル曲は、どうあなたの身体に響くのだろうか。ディレイというサンプリング、カットアップの一過程の手法のみで、どこまでできるか?それは、一つのチャレンジではあったが、全てではない。1981年に工作舎が中心になって全国10ヵ所で行われた、M.M.D.コンサートのスローガン ”- 即興- 同時から出て、同時へ出る”をことあるごとに思い出す。
70年代、バーカスベリーコンタクトピックアップにBOSS BF-1(フランジャー)、AP-7(ジェットフェイザー)をつないだGuildF-30をギターアンプにプラグインし、曲の後半はギターをアンプに立てかけ、フィードバックの共振(発信)音をエフェクト操作し、最後はアンプの電源コードを引き抜いて終わり。という構成だった曲を「…行ってしまってから(もとの音に)還ってきたら…」という能勢氏の言葉から20数年、この時間を私は決して長過ぎたり、遅すぎたとも思わない。
このCDのタイトルにもなっているこの曲名は、かつて70年代ペパーランド・アンダーグラウンド・シネマティークで見ることができた、アメリカン・アンダーグラグランド・フィルムからいただいた。そう、ブラフマン的コズミックシネマとして名高い、スタン・ブラッケージの”ドッグ・スター・マン”。そして、グローリー主義とビートニクスをカメラという生命機械で拡張する、ケネス・アンガーの ”スコルピオ・ライジング”及び ”ルシファー・ライジング”だ。
(tuning- DDADAD ,strings exchange 6,3,5,4,2,1)
音楽以外の何物かを伝えたい為に音楽はある。
写真に写らない物を撮す為に写真はある。
音楽において、伝統的なエンジニアの姿勢とは、
その場がステージ上であれ、レコーディングスタジオであれ、
その場で鳴っている楽器の音を増幅、記録することだ。
これには常々疑問を持っていた。
私のCDのライナーにも書いたように、ミュージシャンとエンジニアとディレクター、プロデューサーの立場は時代とともに変わってきた。
ロイ・ハリー、ジョージ・マーティン、フィル・スペクターの時代からヒュー・パジャム(XTCなど)、ボブ・クリアマウンテン(ロビー・ロバートソンなど)、エイドリアン・シャーウッド(デペッシュ・モードなど)そしてハウスへ・・・。この流れの意味する事とは何なのか?
フォトグラファーは、音楽におけるミュージシャンとエンジニアの要素を同時に満たしていなければならない。しかし振動そのものを扱う音楽と比べ、そのグラフィック及び記録という特性上、(音楽におけるレコーディング・エンジニアと同質の)時間感覚のコントロールを肉体感覚に変換するのに、ある程度の個人的時間が必要となる。
イマジネーションとエンジニアリングの分業化がポップスの歴史を作ってきた。
しかし、DJやプロデューサーが市民権を得てきたことで、音楽にはある意味フォトグラファー的アプローチをとれるミュージシャン、アーティストが(安易にプリミティブに走るのではなく・・・)求められてきていると思う。
(以下Dog Star Rising ライナー(改訂2006.1)より)
1. The Dog Star Rising 【ドッグ スター ライジング】12:12
< Shigetoshi PHUZYWARA >
Recorded in Okayama at studio INTERLOID July 2000 Self Engineering
この曲のモチーフは、20数年前にできた。その頃聴いた、数枚のLPがきっかけだった。それは・・・、
コンテンポラリーかつアバンギャルドという意味において、本質的な意味でフォ-クと言え、また当時のイギリスのギターミュジックシーンを伝えた、オムニバス2枚組”ギターワークショップ”。
理知的なシタールに対して官能的なヴィーナの音色を教えてくれた、キング民族音楽シリーズ、”南インドの音楽/ナゲシュワラ・ラオのヴィーナ”。
フリー・インプロヴィゼーション・ミュージックに超絶的技巧や難解な論理は、決して必要条件ではないことを見せてくれた、デレク・ベイリーの"DEREK BAILEY SOLO"。
当時LPを創る(アルバムをプロデュースする)という意味において、ジョージ・マーティン(言わずと知れた5人めのビートルズ)、ロイ・ハリー(3人めのサイモン&ガーファンクル)、フィル・スペクター(バック・トゥー・モノ!)以上のものを感じさせてくれた、故ジョン・フェイの”ブラインド・ ジョー・デス vol.6 デイズ・ハブ・ゴーン・バイ”、 …これらのLPだった。
その後、90年代初頭デトロイト・テクノの雄ジェフ・ミルズの"cycle30"やアンビエント・テクノの名盤として名高い、Polygon Window (Surfing On Sine Waves) 、いまだ、正当な評価がなされているとは思えない、アーティフィシャル・インテリジェンス・テクノの最重要盤、EAT STATIC "implant" など、またフリーミュージックの最先端、カン・ティ・ファン、大友良英・・・の演奏、そして新世代のパフォーマー、jinmo、今沢カゲロウ・・・らに出会い、現在のような形になった。
このアルバムで唯一のオリジナル曲は、どうあなたの身体に響くのだろうか。ディレイというサンプリング、カットアップの一過程の手法のみで、どこまでできるか?それは、一つのチャレンジではあったが、全てではない。1981年に工作舎が中心になって全国10ヵ所で行われた、M.M.D.コンサートのスローガン ”- 即興- 同時から出て、同時へ出る”をことあるごとに思い出す。
70年代、バーカスベリーコンタクトピックアップにBOSS BF-1(フランジャー)、AP-7(ジェットフェイザー)をつないだGuildF-30をギターアンプにプラグインし、曲の後半はギターをアンプに立てかけ、フィードバックの共振(発信)音をエフェクト操作し、最後はアンプの電源コードを引き抜いて終わり。という構成だった曲を「…行ってしまってから(もとの音に)還ってきたら…」という能勢氏の言葉から20数年、この時間を私は決して長過ぎたり、遅すぎたとも思わない。
このCDのタイトルにもなっているこの曲名は、かつて70年代ペパーランド・アンダーグラウンド・シネマティークで見ることができた、アメリカン・アンダーグラグランド・フィルムからいただいた。そう、ブラフマン的コズミックシネマとして名高い、スタン・ブラッケージの”ドッグ・スター・マン”。そして、グローリー主義とビートニクスをカメラという生命機械で拡張する、ケネス・アンガーの ”スコルピオ・ライジング”及び ”ルシファー・ライジング”だ。
(tuning- DDADAD ,strings exchange 6,3,5,4,2,1)
by interloid
| 2007-07-19 22:10
| 音楽