2008年 01月 09日
藤原新也と大友良英 |
藤原新也 と大友良英は2人とも私のリスペクトするアーティスト(表現者)だ。
新風舎の倒産の報道でここのところしばらく読んでなかったShinya talkを読んでみて、この2人の社会や自らを取り巻く「表現」世界への関わり方の真摯さが似ていると思った。日本の製造業や出版界、マスコミを含め西洋と日本の「作家意識」の違いを浮かび上がらせた・・・と結ぶ藤原新也の姿勢とサンプリング・ウイルス計画などの大友良英の即興音楽を超えた「環境としての空気振動」への取り組み方は、写真や音楽、文章などの管理的ジャンル分けを超え、生き続ける事の責任とも言える、表現者としての一番根っこにある姿勢を問いかけている。
錬金術の薫りを漂わせた写真の誕生が、マイブリッジでは科学技術的ニュアンスを漂わせ、アッジュの絵画への奉仕は「写真装置」の持つシステム・オブ・ロマンスを開花させた。プロパガンダとメディアで一般化した情報としての写真の力は、デジタル情報となり、これからの新たな展開、新しい意義付けを迫られている。
一方音楽は、宗教的バックボーンに支えられた西洋クラシック音楽意外でさえ、古くから音(振動)の持つそのより生理的生体的特徴によって、固有地域の民族の伝承により発展してきた。このそれぞれの方法の歴史による違いを超えて、人のイメージは連なっている。その根底にあるのは、非情な宇宙の摂理を冷静に受け入れる穏やかな視線と澄んだ意識だろう。
新風舎の倒産の報道でここのところしばらく読んでなかったShinya talkを読んでみて、この2人の社会や自らを取り巻く「表現」世界への関わり方の真摯さが似ていると思った。日本の製造業や出版界、マスコミを含め西洋と日本の「作家意識」の違いを浮かび上がらせた・・・と結ぶ藤原新也の姿勢とサンプリング・ウイルス計画などの大友良英の即興音楽を超えた「環境としての空気振動」への取り組み方は、写真や音楽、文章などの管理的ジャンル分けを超え、生き続ける事の責任とも言える、表現者としての一番根っこにある姿勢を問いかけている。
錬金術の薫りを漂わせた写真の誕生が、マイブリッジでは科学技術的ニュアンスを漂わせ、アッジュの絵画への奉仕は「写真装置」の持つシステム・オブ・ロマンスを開花させた。プロパガンダとメディアで一般化した情報としての写真の力は、デジタル情報となり、これからの新たな展開、新しい意義付けを迫られている。
一方音楽は、宗教的バックボーンに支えられた西洋クラシック音楽意外でさえ、古くから音(振動)の持つそのより生理的生体的特徴によって、固有地域の民族の伝承により発展してきた。このそれぞれの方法の歴史による違いを超えて、人のイメージは連なっている。その根底にあるのは、非情な宇宙の摂理を冷静に受け入れる穏やかな視線と澄んだ意識だろう。
by interloid
| 2008-01-09 13:03
| アート