圏と圏論による推論はロゼッタストーンとなるか? |
そのリンク元は
檜山正幸のキマイラ飼育記
『物理、トポロジー、論理、計算を圏論の「対象」と「射」を用いれば、各分野間の翻訳用辞書(現代のロゼッタストーン)を得ることができる・・・』
平たく言えば「圏と圏論」とは集合の考え方の発展したやつ。
たとえば「対象と射」を(MacOSにおける)「ファイルとフォルダ(ハイパーカード)」と対応させて考えてみるってこと。
「行列や行列式」を(イラストレーターやフォトショップの)「整列コマンドや輪郭検出」と対応させて考えてみること・・・。
この「クオリアの対応」とも言うべき、事象とその記述単位の違いを超えた比較、類推の可能性の先に関係性の記述の統一に臨む統一場理論への道が開けている。
音楽の場合は演奏者が時代の要請に甘えすぎた歴史が「クオリアの対応」を遅らせている。とも言えるのではないか?。プラトンのモノコードから上記の意味で飛躍的な発展があったなどとは如何せん言いがたい。
それでも、音楽が退化(DEVO)してきている現代でも、良識ある音楽は「クオリアのホログラフ」としての機能を着実に体現している。